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世界の競馬、日本の競馬

競馬を20年以上見ている僕が思い出のレースや予想、国内海外の競馬ニュースを紹介します。

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【競馬関連ブログのおすすめ記事】

地味だけと骨っぽいメンバーの中、問題無くレコードで圧勝したビワハヤヒデの強さ【第27回デイリー杯3歳S】



「もうすぐデイリー杯なんだなぁ」とぼんやり過去のデイリー杯を思い出してみたが、まず最初にうかんだのはビワハヤヒデが勝った1992年のデイリー杯。競馬をちゃんと見るようになってもう20年以上経ちますが、やっぱり始めた頃の方が思い出が残っていますね。競馬をちゃんと始めた1992年の3歳(現2歳)で一番評価が高かった馬、それがビワハヤヒデ。

新馬戦を大差勝ちし、マイル戦のOPもみじSを3歳レコードタイムで快勝。そして初めての重賞挑戦になったデイリー杯3歳S。このレースも完勝でした。動画を見るとわかりますが、着差以上の楽勝。このレース、メンバーのレベルは地味に良かった気がする。後にOP2勝するテイエムハリケーン(このレース2着)、年明けのシンザン記念を制したアンバーライオン(同4着)、翌年のクリスタルCを制したセントミサイル(同8着)となかなかのメンバーでしょ。そんな中、ビワハヤヒデは圧勝。しかも芝1,400mの3歳レコード。2戦連続のレコードで「これは凄い」と紙面を賑わせてた記憶が。

圧倒的1番人気におされた朝日杯では外国産馬エルウェーウィンの強襲に屈して2着に負けてしまったけど、安定感はピカイチだし、クラシック有力候補には間違いない。そんな感じだった。

言うまでもなく一つ下の半弟は三冠馬ナリタブライアンなわけだが、爆発力ではブライアンの方が強かったと思うが、それでも10回戦ったら5回はビワハヤヒデが先着しそうな気もする。もっと評価されても良い馬だと思うんだよな。

しかし血統というのはよくわからないな。いくら母親が優秀とは言え、父シャルードであそこまで強く、そして距離もこなすなんて(主戦の岡部は「この馬は中距離馬」と言ってたらしいけど)。



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マイル王ヤマニンゼファーが距離の壁を破り優勝【第108回天皇賞(秋)】



明日(もう今日)は天皇賞なんですね。天皇賞(秋)は2,000mというマイラーとステイヤーが集まるエキサイティングな距離なので好きなレースの一つ。でもさすがにステイヤーは厳しいのかな。キタサンブラックも回避だし。

今年の注目はアジアのマイル王モーリスの参戦ですね。マイル王モーリスと世界の中距離王エイシンヒカリの対決ってのが盛り上がってるところのようですが、やはり心配されているのはモーリスの距離適性。前走の札幌記念は2,000mの練習だったと思うけど、2着という評価がとても難しい結果で悩ましい。惨敗だったら「適正無いね」となるし、勝てば「2,000mは大丈夫そう」となったのだが…。モーリスも血統的には2,000m問題無いはずなんだけどな。

ちなみに僕の本命はラブリーデイなんだけど、どうかな。ラブリーデイは2,000mが適距離だと思うんだけど、東京の大外枠ってのは運が無かったな。去年と違って人気も落ちたし、秋に狙うならここしかないと思うんですよね。

今回の天皇賞(秋)の雰囲気で何となく思い出したのが1993年の天皇賞(秋)。ステイヤーであるライスシャワーが一番人気になったものの、人気は割れていた。善戦マンのナイスネイチャが2番人気で玉砕覚悟の大逃げでおなじみのツインターボが3番人気というあたりでもう波乱の予感。

勝ったのは「スプリント王」のヤマニンゼファー。これまでマイル以下でしか良績を残していなかったヤマニンゼファーの天皇賞(秋)挑戦は話題になったし、大部分が「距離もたないだろう」って思ってたはず。前走毎日王冠で6着に破れてたし、何と言っても父は短距離王ニホンピロウィナー。僕も当時「何で天皇賞に出てきたんだろう」って思ってた。しかし蓋を開けてみるとトウショウボーイの仔セキテイリュウオーとの壮絶な叩き合いの末にハナ差で勝利を掴んだ。結果的に距離をこなした。

さて、モーリスである。実力はある。ヤマニンゼファーよりかは2,000mの距離適性あるとは思う。ライバルのエイシンヒカリは好枠を活かして逃げるだろう。ツインターボの逃げとは異なるが、直線長い東京コース。その辺りがどうなのか。ライバルを前方に見ながらモーリス、ラブリーデイが好位から差し切る。そんなイメージを持っているがいかに。



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競馬初心者の僕の前に存在した二冠馬ミホノブルボンの強靭な精神力【第53回菊花賞】



80年代後半のバブル時代。第二次競馬ブームというものに世の中は湧いていた。当時小学校高学年〜中学生だった僕ではあるが、地方からやってきた怪物オグリキャップとタマモクロス、バンブーメモリー、ヤエノムテキ、スーパークリークなどのライバル馬などの名前は普通に知っていた。怪物オグリキャップと若き天才騎手武豊は競馬ファンだけでなく、一般知名度も相当なものであった。

1990年暮れの有馬記念におけるオグリキャップ奇跡のラストランはとても感動的な記憶として残ってはいるが、本格的に競馬を見るようになったのは高校入学後の1992年秋のことだった。なぜそのタイミングで競馬に改めて興味を持つようになったのかは覚えてないが、とにかく1992年秋の菊花賞がその後の僕の競馬人生の始まりとなった。

この年のクラシックは何と言ってもミホノブルボンである。無敗の二冠馬には物語があった。

まず地味な血統。判官贔屓の日本においてマイナー血統の馬がエリート血統の馬を倒していくというのはそれだけで物語になる。思えばオグリキャップはまさにそれであった。ミホノブルボンの父マグニテュードは桜花賞馬エルプスを輩出するそれなりに実績のあった種牡馬ではあったが、当時日本におけるミルリーフ系種牡馬と言えばミルジョージであり、マグニテュードはミルジョージの控えのような存在だった。現にミホノブルボンの母カツミエコーはミルジョージを種付けしたかったが、種付け料が高かったのでやむなくマグニテュードを種付けたという話だ。

地味な血統の他にミホノブルボンの物語に欠かせないのが戸山調教師による超スパルタ調教。本質的にはスプリンターとも言えるミホノブルボンは戸山師による坂路調教によってスタミナをつけていった。

ミホノブルボンは無敗でクラシック二冠を達成し、秋を迎えた。菊花賞トライアルの京都新聞杯を日本レコードで勝利し、無敗の三冠馬の達成の気配に競馬界は満ちあふれた。未知の3,000mに不安もあったが、これまでもずっと距離不安が懸念されながらも勝ち続けていた。きっと3,000mもこなしてしまうだろう。そんな雰囲気であった。

競馬初心者であった僕も無敗の二冠馬は消すことはできなかった。しかし1頭気になる馬がいた。ライスシャワーである。ダービーを人気薄で2着に入り、世代トップクラスの仲間入りをしたライスシャワー。秋もセントライト記念、京都新聞杯と連続で2着に入り実力をみせた。そして何より血統が魅力的だった。父リアルシャダイは長距離得意な馬を数多く輩出していたし、母父マルゼンスキーは前年の菊花賞馬レオダーバンを輩出したスタミナ自慢の種牡馬。3,000mの菊花賞こそベストの条件のように見えたライスシャワーを僕は本命にした。

どういう馬券を予想したかは忘れたが、ライスシャワーを本命にミホノブルボン、そして名ジョッキー岡部鞍上のマチカネタンホイザあたりを予想したのだと思う。今思い返すと「何て堅い予想なんだ」と思う。

レースではキョウエイボーガンが逃げ、ブルボンは2番手。ライスシャワーもタンホイザも先行。4コーナー手前でキョウエイボーガンがズルズルと後退し、ブルボンが先頭に立ち直線に。鋭い脚でライスシャワーが外から迫り、内からはマチカネタンホイザが脚を伸ばす。ライスシャワーの脚は抜けていて、一気に差を広げる。タンホイザも一瞬ブルボンを抜くが、そこでブルボンが驚異的な勝負根性をみせて再びタンホイザの前に。そしてゴール。

距離適性なのか実力なのかわからないが、ミホノブルボンは初めて敗北を喫した。しかしあの血統で正攻法のレース運びをし、一回抜かれたタンホイザを抜き返す勝負根性は見事としか言いようがなく「負けてなお強し」であった。厳しい調教に耐え、距離に耐え、強襲するライバルに耐えたブルボンの強靭な精神力にただただ圧倒された。

その後ミホノブルボンは故障で一年以上復帰に向けて頑張ったが、とうとうターフに戻ることなく引退した。僕にとって最初で最後のミホノブルボンの走りとなった。ライバルであるライスシャワーはこの数年後悲劇的な最後を迎えるわけだが、ライスシャワーについてはまた別の機会に。

あれから24年。またミホノブルボンのような馬を見てみたいな。





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