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競馬初心者の僕の前に存在した二冠馬ミホノブルボンの強靭な精神力【第53回菊花賞】



80年代後半のバブル時代。第二次競馬ブームというものに世の中は湧いていた。当時小学校高学年〜中学生だった僕ではあるが、地方からやってきた怪物オグリキャップとタマモクロス、バンブーメモリー、ヤエノムテキ、スーパークリークなどのライバル馬などの名前は普通に知っていた。怪物オグリキャップと若き天才騎手武豊は競馬ファンだけでなく、一般知名度も相当なものであった。

1990年暮れの有馬記念におけるオグリキャップ奇跡のラストランはとても感動的な記憶として残ってはいるが、本格的に競馬を見るようになったのは高校入学後の1992年秋のことだった。なぜそのタイミングで競馬に改めて興味を持つようになったのかは覚えてないが、とにかく1992年秋の菊花賞がその後の僕の競馬人生の始まりとなった。

この年のクラシックは何と言ってもミホノブルボンである。無敗の二冠馬には物語があった。

まず地味な血統。判官贔屓の日本においてマイナー血統の馬がエリート血統の馬を倒していくというのはそれだけで物語になる。思えばオグリキャップはまさにそれであった。ミホノブルボンの父マグニテュードは桜花賞馬エルプスを輩出するそれなりに実績のあった種牡馬ではあったが、当時日本におけるミルリーフ系種牡馬と言えばミルジョージであり、マグニテュードはミルジョージの控えのような存在だった。現にミホノブルボンの母カツミエコーはミルジョージを種付けしたかったが、種付け料が高かったのでやむなくマグニテュードを種付けたという話だ。

地味な血統の他にミホノブルボンの物語に欠かせないのが戸山調教師による超スパルタ調教。本質的にはスプリンターとも言えるミホノブルボンは戸山師による坂路調教によってスタミナをつけていった。

ミホノブルボンは無敗でクラシック二冠を達成し、秋を迎えた。菊花賞トライアルの京都新聞杯を日本レコードで勝利し、無敗の三冠馬の達成の気配に競馬界は満ちあふれた。未知の3,000mに不安もあったが、これまでもずっと距離不安が懸念されながらも勝ち続けていた。きっと3,000mもこなしてしまうだろう。そんな雰囲気であった。

競馬初心者であった僕も無敗の二冠馬は消すことはできなかった。しかし1頭気になる馬がいた。ライスシャワーである。ダービーを人気薄で2着に入り、世代トップクラスの仲間入りをしたライスシャワー。秋もセントライト記念、京都新聞杯と連続で2着に入り実力をみせた。そして何より血統が魅力的だった。父リアルシャダイは長距離得意な馬を数多く輩出していたし、母父マルゼンスキーは前年の菊花賞馬レオダーバンを輩出したスタミナ自慢の種牡馬。3,000mの菊花賞こそベストの条件のように見えたライスシャワーを僕は本命にした。

どういう馬券を予想したかは忘れたが、ライスシャワーを本命にミホノブルボン、そして名ジョッキー岡部鞍上のマチカネタンホイザあたりを予想したのだと思う。今思い返すと「何て堅い予想なんだ」と思う。

レースではキョウエイボーガンが逃げ、ブルボンは2番手。ライスシャワーもタンホイザも先行。4コーナー手前でキョウエイボーガンがズルズルと後退し、ブルボンが先頭に立ち直線に。鋭い脚でライスシャワーが外から迫り、内からはマチカネタンホイザが脚を伸ばす。ライスシャワーの脚は抜けていて、一気に差を広げる。タンホイザも一瞬ブルボンを抜くが、そこでブルボンが驚異的な勝負根性をみせて再びタンホイザの前に。そしてゴール。

距離適性なのか実力なのかわからないが、ミホノブルボンは初めて敗北を喫した。しかしあの血統で正攻法のレース運びをし、一回抜かれたタンホイザを抜き返す勝負根性は見事としか言いようがなく「負けてなお強し」であった。厳しい調教に耐え、距離に耐え、強襲するライバルに耐えたブルボンの強靭な精神力にただただ圧倒された。

その後ミホノブルボンは故障で一年以上復帰に向けて頑張ったが、とうとうターフに戻ることなく引退した。僕にとって最初で最後のミホノブルボンの走りとなった。ライバルであるライスシャワーはこの数年後悲劇的な最後を迎えるわけだが、ライスシャワーについてはまた別の機会に。

あれから24年。またミホノブルボンのような馬を見てみたいな。





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